初めまして、フェルデンクライス・プラクティショナーの吉田万里子です。
この度「AGLA」さんでコラムを書かせて頂くことになり、大変嬉しく思っています。
というのも、私は以前プロレスラーとしてリングに上がり、毎日毎日、地獄のようなトレーニングを積んでいたにもかかわらず、試合には勝てず、怪我は増える一方で常に満身創痍という若手時代を過ごしました。
2017年、29年間に及んだプロレスラーとしての現役生活に終止符を打ち、現在は “体の楽な動かし方” を皆さんにお伝えする活動を行っています。
それは、プロレスラー生活で「なぜ怪我だらけだったのか?」「なぜ若手時代に誰よりもトレーニングを積んでいたにもかかわらず勝てなかったのか?」が分かった、貴重な体験がベースになっているからです!
その私の数々の体験、発見が、皆さんのお役に立てると嬉しいです。
プロレスラーの宿命
「常に、満身創痍」・・・そう書きましたが、一番大きな怪我だったのは頸椎損傷(首のヘルニア)です。
痛くて首が動かせないのはもちろんのこと、手まで痺れて、洗おうとした手が水に触れるだけで激痛という状態でした。
今ならそんなに酷くなる前になぜ、医師に相談し、検査、治療をしなかったの?と思いますが、当時(もう25年以上前)の女子プロレスの世界は、厳しく過酷な出世争いの場。勝ち上がっていくのに必死な毎日でした。
休もうものなら、あっという間にライバル達に追い抜かれてしまう、置き去りにされてしまう、要するにそこに自分の居場所がなくなってしまうという「競争原理」の働く究極の世界が、プロレス界だったのです。
だから、少しくらいの怪我なら、怪我とも思わず試合に出場することが当たり前でした。
少しくらいの怪我じゃなかったけど・・・笑!
当然のことながら、手術をすることになったのですが、ドクターからは、「プロレスを引退すると約束するなら手術をする」と言われ、その時はプロレスどころか日常生活に支障をきたしていたので「引退します!」と言って手術をしていただきました。
結果的には2年後、リングに復帰したのですが。
実は、もう「手術」と言われた時から、復帰は決めていました。半年くらいで復帰できるだろうと軽~く考えていたのです。
長期欠場からの復帰
辛かったのは、その後です。
いつのタイミングで復帰したら良いのか、ドクターに相談できなかったからです。
軽いリハビリの許可はおりても、復帰に必要なハードなトレーニングの許可はもちろんおりるわけがないし、「引退します!」と言ってしまった手前、聞くに聞けない状態。
結果、リングに復帰するまで2年かかってしまいました。
今思い返しても、29年間のプロレスラー生活の中で一番辛かったのがこの時期です。
でも、最初から「復帰に2年かかります」と言われていたら、復帰を諦めていたように思います。
最初は、半年後を目指してトレーニングを積んで復帰出来ず、じゃあ次の3ヶ月後を目指して!とまたトレーニングを積み、その3ヶ月後も復帰出来ず、じゃぁまた次の3ヶ月後・・・という風にしていたら、結果2年かかってしまった、という感じだったのです。
もちろん、途中もう復帰できないのかな、と落胆したこともありました。
その時、何が私の支えになったか?
それは、ファンの皆さんの存在です!!
当時はSNSなどない時代でしたので、たくさん、たくさん、励ましのお手紙をいただきました。
自分1人では「復帰できるまで頑張ろう!!」という気持ちには、どうやってもならなかったと思います。
私の支えになったのは、これだけ応援してくださるファンの皆さんに、元気にリングに立つ姿を見てもらいたい!という気持ちがあったからなのです。
皆さんの応援がなければ、復帰はあり得ませんでした。
今思い返しても、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりますね。
ですが、その後応援して下さった皆さんの気持ちにお応えすることができない悲惨な状況が待ち受けていたのです。
それは・・・
体幹チューニング
復帰したものの当時のプロレスは、「勝つためには手段を選ばず」の世界。
対戦相手はみんな私の首を狙ってきました。プロレスの世界において、相手の負傷箇所を攻撃するのは当然のセオリーなのです。
毎日、毎日、試合で、頭からリングに落とされ、投げつけられます。
その結果、今度は手術していない部分まで、さらに2カ所また頸椎損傷になってしまったのです。
ドクターに「頸椎に損傷があるので、例えば道で転んだだけでも、腕が麻痺して動かなくなるよ。」と脅されたりもしました。
さすがに、もうリングに上がれなくなったちょうどその頃、知り合いの紹介で「体幹チューニング」という呼吸法を教わったのです。
毎日ゆっくり腹式呼吸を何度も何度もしていたら、体のムダな力が抜けていきました。
それから半年くらいかな?首の痛みが格段に減っていて、動きも変わっていたのです。その間、整体、マッサージ、ハリ治療など一切受けず、その呼吸法の実践だけでした。
体のムダな力を抜くことの重要性、人間の自然治癒力の凄さを痛感させられたのです。
そしてその後、なんとまた試合に出場したのです。 ホント懲りないですね(笑)!!
ですが、それがとても素晴らしい体験になりました。
半年以上動いていなかったにもかかわらず、スムーズに体を動かすことができたのです!むしろ欠場前より楽に。
そこで分かったのが、整えることの大事さです。
ピアノに例えると、調律(チューニング)されていないピアノをいくら弾いても美しい音色を奏でられないですよね。それと同じで、今までの私は、調律できていない体で必死になってトレーニングを積んでいたのです。
そして、その約半年間全くプロレスラーらしいトレーニングはしなかったけど、ずっと身体の調律をしていた。そして、奏でてみたら・・・「あら、イイ音色♪」といった感じになったのです。
人間が本来持っている自然な動きを全く無視して、自分の力でムリヤリ頑張って動いていたんだ!ということにも気付かされ、「自然体」を目指そう!と思ったのがこの時でした。
そして、「体幹チューニング」の資格を取得しプロレスの後輩に指導していたところ、色々な方から、やって欲しいとご依頼を頂き、仕事になっていったのです。
フェルデンクライスとの出会い
そこでまた、ご縁を感じずにはいられない素敵な出会いがあったのです。
脳性麻痺で生まれつき歩けない19歳の女性が毎月、私のレッスンを受けに来てくれていました。松葉杖2本の生活で、体は前かがみになり杖にもたれかかっている状態。いつも下を向いていました。
そんな彼女が、なんと体が真っ直ぐな状態になったのです!!しっかり前を向けるように!!
そこで私は、なんとか彼女が歩けるようにならないか?と呼吸法以外に骨の勉強を始めました。
その時出会ったのが、「フェルデンクライス」です。
フェルデンクライスは、赤ちゃんを見本としている、という文を読んで、まさに私が目指す「自然体」に通じるものだ!!と勝手に感動し、学び始めたのです。
プロレスから離れ、フェルデンクライスの資格を取得し活動していました。
そして、プロレスから完全に離れて4~5年たった頃、またまたリングに上がることになったのです。
後輩のプロレスラーから、「試合に出場してください!!」と懇願されたのがきっかけです。
さすがに4~5年全く動いていなかったので、一旦は断りました。それなのにどうして最終的には出場の決断をしたのか?
理由は2つ。
彼女は、後輩というより弟子。
私がスカウトしてプロレスの世界に引き込んで、初歩の受け身から一緒にトレーニングを積んできた選手だったということ。
あともう1つ。やはり一番心配なのが怪我・・・
ですが、フェルデンクライスを学んでいたこともあり、ある程度の怪我は避けられる!と確信がもてたからです。
そして、この試合をきっかけにトレーニングを再開、月に2~3試合出場し、半年後正式に引退試合を行うこととなったのです。
ですが、いくらトレーニングを再開したといっても、やはり現役で戦っている選手と対戦するのは、半端ない体へのダメージ。
試合の次の日、古傷のある首が全く動かせなくなったこともありました。
まさに交通事故のむち打ち状態。一般の人だったら、数日入院になるのでは?というくらい本当に全く動かせないんです。
それを、フェルデンクライスのレッスンで自分で治していました。
自分で毎日毎日、人体実験していたのです。笑!!
ここで、さらにまた人間の治癒力の素晴らしさ、いくらでも改善できる!!ということを体感したのです。
フェルデンクライスがもたらすもの
こんなこともありました。
試合で受け身を取り損ね頭からリングに刺さってしまい、「あ、もう動けない・・・」と思った次の瞬間、「あれ??動いている」と何事もなかったように動けている自分に驚いた体験。
よく子供が高いところから落ちても怪我しなかった、ということがありますよね。
それと同じで、背骨が1つ1つちゃんと動いてくれて、なおかつ骨盤と頭への繋がりも出来ていたので、頭からリングに刺さっても怪我をしなかったのです。
そんな体験が数知れずあります!!
そして、何より感じたのが、気持ちが変わるということ。
体が変わり動きが変わると気持ちが変わる、気持ちが変わると物の見方も変わります。
また、今まで出来なかったこと、無理だと思っていたことが楽に出来るようになると、自信にもつながっていきます。
私たちの可能性はたくさんあるのです。ただそれに気づいていないだけなのです。
まずは気付いて、そしてどんどん理想の自分へ進んでいっていただけるよう、一人でも多く方の眠っている力を発揮するお手伝いが出来ると嬉しいです。
これから、私の人生を変えたフェルデンクライスの素晴らしさや効果、そして日々の活動の一端をお届けできればと思っています。
どうぞ、お楽しみに!