【AGLAアーカイブス】怖くて悲しくて切ない、お盆に読書で旅する『遠野物語』

AGLAアーカイブス

心と体を調える女性のためのスピリチュアルメディア『AGLA』で、とくに人気の高かったコラムを再掲する「AGLAアーカイブス」。2019年8月9日公開記事『四季に寄り添い、祈るように暮らす(連載第十六回)』よりお届けします。

まだまだ暑い日が続きますが、「かなかなかな」と、ひぐらしが鳴く頃です。

8月12日から16日頃は七十二候の第三十八候「寒蝉鳴(ひぐらしなく)」。

朝夕のひぐらしの声に、どこか物悲しさを感じるのは私だけでしょうか。「つくつくほーん」と鳴くのはつくつく法師。「かなかなかな」「つくつくほーん」と虫の合奏が聴こえたら、夏も終わりですね。

夏と秋、ふたつの季節が出合うこの時季。私が生まれ育った青森では「お盆」を迎えます。亡くなったご先祖様が里帰りをする、日本のやさしい行事。

今日はお盆の起源についてご紹介しながら、日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男が書いた『遠野物語』をご紹介しましょう。

100年の時をこえて読み継がれる、河童や天狗、幽霊、神隠しなどにまつわる不思議な世界。私は盆の入り、迎え火を焚いて、甥っ子たちに『遠野物語』の読み聞かせをしています。

『遠野物語』は、東日本大震災後、多くの人に読み返され、悲しみを癒やしました。

現代のお盆とは

お盆休みといえば8月13日から16日が一般的ですが、東京都(一部地域を除く)、函館、熊本市の一部などでは毎年7月にお盆の行事が行われています。

これは、もともと旧暦の7月15日に行われていた行事が、新暦になった時に、新暦の8月に行う地方と、新暦になっても7月に行う地方に分かれて定着したのが理由だそうです。

私の故郷では、盆入りの8月13日の夕方に迎え火を焚いてご先祖様の霊を迎え、盆明けの16日に送り火を焚いてご先祖様の霊を見送ります。皆さんの町はいかがですか?

そもそも、日本では一年の初めの初春の満月の日にご先祖様を祀る、先祖祭なるものが行われていました。初春の先祖祭が「お正月」、初秋の先祖祭が「お盆」の起源といわれています。

中でも、初秋の先祖祭は新月から満月まで続く一大行事とされ、これが現在でも「夏越の祓(なごしのはらえ)」「七夕」「お盆」という一連の行事として残っていると知り、驚きました。ちょうど、8月15日は満月ですね。

「夏越の祓」については以前の記事でご紹介しましたが、実は「七夕」も「夏越の祓」同様、お盆を前に水辺で身を清める禊ぎの行事とされ、「夏越の祓」「七夕」「お盆」は本来ひとつの行事だったそうです。

ご先祖様をお迎えするために身を清めていた古の人々。それは、ご先祖様をお迎えするための心構え。ご先祖様に気持ちよく過ごしていただくために、「おかえりなさい」という気持ちを込めて、心も家も美しく整え、お盆を迎えましょう。

『遠野物語』とは

『遠野物語』は、 岩手県遠野市出身の民族研究家であった佐々木喜善が子どもの頃から聞かされていた話や、遠野に伝わる逸話の数々を語り聞かせ、柳田國男が文語体にまとめたもの。明治43年に自費出版されました。

お盆は、迎え火を囲んで甥っ子たちに『遠野物語』の読み聞かせをするのが恒例となりましたが、それぞれの中でイメージを膨らませているのでしょう。

読み進めていくうち、「こわい」と言ってしがみついてきたり、目を大きく見開いたり、時に悲しそうな顔をしたり。子どもなりに、この一冊から得るもの、感じるものがたくさんあるのだなと感じています。

ある研究家の方が、

「遠野物語という本は、読む人によって民俗学的出発点の意味を読み取ることも、文学として読むことも、民話や怪談集の玉手箱を開くような読み方もできる。どのようにも入り口を開けている本なのだが、一般の読書で得られる、読み切ったという充足感は、何故かするりと逃げていく不思議な一冊」

と話していらした言葉が印象的でした。

『遠野物語』が100年の時をこえて読み継がれるのには、別の次元の理由があるのかもしれません。

『遠野物語』には明治三陸大津波で愛する妻を失った、ある男性の悲しみが描かれています。

主人公は、福二という男性。

愛する妻としあわせな毎日を送っていた福二は、突然、津波で妻を失います。

ある、月夜の晩。

浜辺に出た福二は、渚を歩く男女の姿を目にしました。

女は、亡くなったはずの妻でした。しかも、妻と一緒にいるのは、福二と結婚する前に心を通わせていたという男。

妻に話しかけると、「今はこの人と夫婦なの」と言い、さめざめと泣いて、妻は福二のもとを去っていきました。

『遠野物語』を語り継ぐ人  

実は、この物語の主人公である福二さんの子孫である長根勝さんは、明治三陸地震から116年後に起こった東日本大震災の大津波で、奇しくもお母様を亡くされました。

ご先祖様と同じ悲しみを抱えた勝さん。

振り返ってみると、明治三陸津波に遭いながら生き残った勝さんのお祖母様は、父である福二さんのことについて、あまり話したがらなかったと言います。

福二さんの存在を教えてくれたのは、亡くなったお母様でした。

「本買え。遠野物語にうちの話がある。先祖のことだから、しっかり覚えとけ」、と。

勝さんは、お母様の死を受け入れることが出来ずにいました。

震災から一年が経った、ある日のこと。

勝さんは、台所に立つお母様の夢を見たそうです。それは、震災前の家での日常の風景、いつものお母様の姿。夢をきっかけに、お母様の死を受け入れることが出来たと話す勝さん。

その体験によって、先祖である福二さんもまた、亡くなった妻の幽霊と出会ったことで、その死を受け入れることが出来たのではないかと考えたそうです。

「自分の先祖以外にもたくさんの悲しみがあったはずなのに、その物語はどうなったのだろう。ただの教訓ではなく、じいちゃん、ばあちゃんから口で伝えられた話こそ力を持つ。血の通った物語を語り継ぐことでしか、次世代の悲しみはなくせない」。

インタビューでそう答えていた勝さんは、悲しみを風化させないために、ご先祖様の物語を現在も語り継いでいらっしゃいます。

そして、震災後、勝さんの生きた言葉が多くの人たちの悲しみを癒やしています。

愛する人を探し、鳥となった魂

実は、『遠野物語』は、両親と19歳の時から心を寄せていた、いね子の死を経験した柳田國男が、「亡くなった人の魂はどこへ行くのだろう」という思いを胸に書かれた一冊とも言われています。

これは、柳田國男がいね子を思ってしたためた詩です。

恋が実らなかった男
死んでウグイスとなり
愛する少女のいる窓辺に行って鳴いた
少女が見つけても
逃げようともせず捕らえられ
籠の中で飼われることになった

『遠野物語』に収められた119の物語。その中に、この詩を彷彿とさせる物語があります。

それは、恋人と山へ行き、突然目の前から消えてしまった恋人を必死に探し続けるうちに鳥になってしまったという娘の話。

柳田國男は佐々木喜善を通じて、遠野に生きた様々な人々の話に触れながら、自身の悲しみと対峙し、亡くなった人の魂の行方を見つめ続けました。私たちが『遠野物語』を読んで感じる思いの中に、その答えがあるような気がします。

亡くなったご先祖様が帰ってくるやさしい行事、お盆。彼岸と此岸が交差する特別な時間に、『遠野物語』を旅してみませんか?

福ふく    
          

参考文献

菊池展明『エミシの国の女神』 
小学館『日本の歳時記』

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フリーアナウンサー・神社仏閣ライター・カラーセラピスト。ラジオ番組にて20年以上にわたり、音楽番組を担当。東日本大震災後、雑誌Kappoにて約7年にわたり連載「神様散歩」を執筆。『福を呼ぶ 四季みくじ』出版。カラーセラピストとしても全国で活動中。

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