東京電力は、24日、福島第一原子力発電所建屋内にある原発事故で生じた放射性物質をふくむ汚染水を浄化した、いわゆるALPS(多核種除去設備:Advanced Liquid Processing System)処理水の海洋放出を開始しました。
これにともなって、中国は日本産の水産物の全面禁輸を決定。
日本最大の水産物輸出先である中国から禁輸措置を受けることは政府にとっても大きな打撃です。何しろ、中国への昨年の水産物輸出額は871億円にも、のぼるのですから。
これまで、中国は再三にわたり、ALPS処理水を「汚染水」と批判。また、処理水の大気放出検討を迫るなどしていました。
日本は、この中国の禁輸措置に「想定外」の見解を示しています。
政府は、風評被害対策に800億円の予算を計上する予定ですが、これは漁具や漁船のエンジン購入費などの事業支援が主であって、収入保障というわけではないようです。
中国への輸出総額(つまり、今後日本が被る水産物輸出での損失)と、政府の風評被害対策がほぼ同額なのは、皮肉なことです。
日本政府の外交上の失策であることは間違いないのと同時に、漁業関係者への裏切りでもあるでしょう。
ALPS処理水とは
ALPS処理水とは、事故のあった原子炉建屋に残る燃料デブリ(溶けた燃料が冷えて固まったもの)に接触することでセシウムやストロンチウムといった放射性物質を含んだ冷却水と、建屋内に流入した地下水や雨水が混ざり込んだ汚染水を、薬液によって沈澱処理、または、活性炭・吸着材で吸着するなどした処理水のことをいいます。
以下、資源エネルギー庁と、FoE JAPANの資料をご覧になれば、ALPS処理水のイメージが何となく、お分かりいただけるかと思います。
これまでに、134万トンの処理水がタンクに保管されており、全ての処理水を海洋に放出するには30年かかる計算です(しかし、それと同時に毎日新たな100トンの汚染水が発生しています)。
24日に処理水の放出に至ったのは、タンクの容量が限界間近の98%となったため。
以下の図をご覧下さい。
98%に達したALPS処理水ですが、その割合が下図に示されています。
ALPS処理水はタンク容量の3割しかないことに疑問を持つ方も多いと思います。7割(67%)を占める処理途上水とは何でしょうか?
上の図にあるような要領で、セシウムやストロンチウムといった放射性物質を除去しています(ALPSではトリチウムだけは取り除けないため処理水の中にはトリチウムが残留しています)。
ALPS処理を行なったあと、安全基準を満たしていない水は処理途上水と呼び、処理水と同じようにタンクに貯蔵しているのです。
つまり、タンク内の処理水には、トリチウム以外にも62核種の放射性物質(排出基準を上回り、最大で基準値の2倍近く)も含まれているということになります。
処理水と呼びながらも、安全基準を満たさない汚染水も混じっているということが積極的には知らされていないのです。
復興庁 FAQより
復興庁によるQ&Aには、基準値以下になるまで再浄化処理を行う予定だと書かれていますが…
トリチウムは安全?
現在、放出されている処理水にはトリチウムが含まれています。
トリチウムとは水素の仲間であり、川や海などの自然界にも存在しています。酸素と結びつくと水とほとんど同じ性質のトリチウム水となるため、分離は難しいとされているのです。
国や東電は、「トリチウムから発生する放射線のエネルギーは非常に弱く、規制基準を守る限りにおいては、危険ではない」と説明しています。
ほんとうに、ALPS処理水に含まれるトリチウムは安全なのでしょうか。
北海道がんセンター名誉院長、市民のためのがん治療の会顧問の西尾正道医師は、このように指摘しています。
トリチウムが染色体異常を起こすことや、母乳を通して子どもに残留することが動物実験で報告されています。 動物実験の結果ではトリチウムの被ばくにあった動物の子孫の卵巣に腫瘍が発生する確率が5倍増加し、さらに精巣萎縮や卵巣の縮みなどの生殖器の異常が観察されています。 1974年10月に徳島市で開催された日本放射線影響学会では、中井斌(放射線医学総合研究所遺伝研究部長)らは人間の血液から分離した白血球を種々の濃度のトリチウム水で48時間培養し、 リンパ球に取り込まれたトリチウムの影響を調べた結果、リンパ球に染色体異常起こすことを報告しています。 現在の規制値以下の低濃度でも染色体異常を観察しています。
「市民のためのがん治療の会」HP 『トリチウムの健康被害について』より引用
東電は、処理水の海洋放出にあたって、トリチウム濃度を国の基準の40分の1である1500Bq(1ℓあたり)まで薄めることにしています。この基準はWHOが定めている飲料水の水質ガイドラインの7分の1程度となります(東電によると放出時の実測では最大63Bqであったと発表)。
しかし、規制値以下でも染色体異常が観測されているという報告をみると、東電の発表を鵜呑みにして安堵など到底できません。
また、トリチウムは遺伝毒性、発がん性、認知機能の低下の可能性も指摘されています。
一般社団法人 日本放射線影響学会 放射線災害対応委員会編
上記の資料中には、時計の文字盤に使用されたトリチウムを含む夜光塗料を取り扱う時計製造工場での2つの事故例を用いての解説、マウスによる発がん、脳・神経系への影響についての解説が記されています。
ただ、これらは大量被曝をした事例を元にしており、福島第一原発由来の処理水に含まれるトリチウムによる人体への影響と単純に比較することはできません。
分子生物学者の河田昌東氏は、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告そのものが、トリチウムの有機結合型トリチウム(Organically Bound Tritium:OBT)としての作用を明らかに過小評価していると説明しています。
トリチウム以外の放射性物質は?
東電がリリースしている資料の数々には、トリチウム以外の放射性物質は全て除去されているかのように表現されています。
しかし実際には、河北新報が2017年のデータを検証したところ、ヨウ素129が法律で定められた放出のための濃度限度を超えていたことを報じています(放出前日の東電による会見で、濃度限度を超過した回数を65回に訂正しています)。
これまで資源エネルギー庁が公表した説明用の資料には、ヨウ素129については「ND(未検出)」と記載されていました。
また、ALPS装置は、62種類の放射性物質を告示濃度限度(1種類の放射性物質が含まれる水を、生まれてから70歳になるまで毎日約2ℓ飲み続けた場合に、平均の線量率が1年あたり1mSvに達する濃度)まで除去できるとしています。
東電が発表した資料においても、トリチウムをのぞく放射性物質の大部分は取り除かれていると記載していますが、実際には、ヨウ素129(I-129)、ルテニウム106(Ru-106)、テクネチウム99(Tc-99)が、17年度だけで65回、告示濃度限度を超えていました。
さらに驚くべきことに、東電が資料等で示している分析結果は、ALPS装置の出口側で採取した水であり、タンク内部の水ではないのです。
このことから、放出されている実際のタンク内部の水については分析すらされていないのが実情です。
各、資料等は以下のリンクから参照下さい。
トリチウム水と政府は呼ぶけど実際には他の放射性物質が1年で65回も基準超過
生物濃縮の可能性
東電は、ALPS処理水の海洋放出後に、福島第一原発から3km以内10地点で海水試料を採取して、トリチウム濃度を分析し、いずれも検出下限値未満であることを公表しました。
2011年の福島第一原発事故後に来日し、事故の海洋への影響を調査した経験のある、海洋科学・海洋生物学が専門のロバート・リッチモンド教授(ハワイ大学)は、「海水で希釈することによって放出段階では一時的に国際的な安全基準を満たしたとしても、海洋生物に取り込まれた放射性物質が食物連鎖の過程で生物濃縮され魚介類の放射性濃度が高くなる可能性があることを念頭に置かなければならない」と語っています。
復興庁や、外務省などのHPでは、トリチウムは生物濃縮することはないと明言しています。
しかし、これまでいくつかの論文では生物濃縮を指摘しています。
「Distribution of tritium in estuarine waters: the role of organic matter」
(河口水中のトリチウムの分布:有機物の役割)「Radioactivity in Food and the Environment, 2002」
(2002年・食品と環境中の放射能)「Bioaccumulation of tritiated water in phytoplankton and trophic transfer of organically bound tritium to the blue nussel, Mytilus edulis」
「トリチウムの危険性」原子力資料情報室より
(植物プランクトン中のトリチウム水の生物濃縮と有機的に結合したトリチウムのアオウキクサへの栄養移動)
米サウスカロライナ大学の、ティモシー・ムソー生物学科教授は「トリチウムが摂取され有機物に取り込まれて、有機結合型トリチウム(OBT)として濃縮された場合の内部被曝の危険性について言及しています(グリーンピース・ジャパン「証拠のないことは、ないことの証拠ではない」─トリチウムの生物への影響:ティモシー・ムソー教授の論文レビュー より)。
漁業への影響
ALPS処理水の海洋放出については、全国の漁業関係者も反対しています。
風評被害はもとより、トリチウム以外の放射性物質が本当に除去できるのかを疑っているのです。
福島県沿岸の水揚げ量の減少は深刻です。
この比較を見ても分かる通り、震災前の2割程度の水揚げ量です。
この要因として、風評による販売力の低下、福島県産を除いた流通の確立もあり、魚市場での買取能力の低下が起こっているといいます。このことから仲買業者が減少し、事業継続が困難となっているのです。
福島県沖では、原発事故の発生翌年の2012年から、漁の制限(魚種の限定、小規模な操業など)、出荷先での評価を調査するなどの試験操業が行われていました。
2021年3月31日で、試験操業が終わり、本格操業への移行期間へと入ったのですが、この翌日の4月1日に、南相馬市鹿島沖で獲れたクロソイが基準値の100Bq/kgを超える、270Bqの放射性セシウムが検出されたのです。これがクロソイの出荷制限へつながります。
年末の12月に出荷制限が解除されると、年明けの1月26日に再び基準値超えの、1,400Bq/kgを検出。さらに翌月には、スズキが自主基準値50Bq/kg超えの、85.5Bq/kgが検出され、出荷自粛となる事態となりました。
今回の海洋放出によっての漁業への影響は甚大とみられます。
イメージの低下、ブランド力の失墜は避けられず、利益の減少から廃業者が続出するのではないかとみられています。
そこへ来て、中国の禁輸措置によって、追い討ちをかけられたかっこうです。
漁業関係者や、住民は、来月、処理水放出の差し止めを求めて訴訟を起こす予定です。
海洋放出以外の選択肢もあるのに…
国や東電は、ALPS処理水の海洋放出しか方策がないとの見立てを変えません。
トリチウムや、その他の核種で海を汚染し、人々の健康と命を危険にさらす可能性があり、漁業関係者との間で「関係者の理解なしに如何なる処分も行わない」との約束を反故にする海洋放出の方針を頑なに変えないことには、それなりの表には出せない理由があるのでしょう。
実は、海洋放出以外にも、2つの有効な手段があります。
このうち、大型タンクによる長期保管にかかる予算は、海洋放出にともなう風評被害対策予算を大幅に下回るものです。
「ALPS汚染処理水取扱いの選択肢 〜汚染水はモルタル固化すべし〜」原子力市民委員会
ALPSのトラブル
ALPSに関しては、これまでいくつかのトラブルも起こっています。
2021年には、容器内に溜まったガスの排出時に、放射性物質を取り除くフィルターに計10箇所の穴が見つかっているのです。
今年3月には、海洋放出前に基準を満たしているかの確認をするためのタンクに、別のタンクの水が流入しました。これは弁が完全に閉まっていなかったという単純なミスでした。
また、原発建屋への地下水の流入を防止し、汚染水の発生そのものを抑える目的で作られた凍土壁が溶けている可能性も指摘されているほか、冷却液の漏洩などのトラブルが相次いでいます(凍土壁については、上図「処理水発生のメカニズム」を参照)。
ALPS処理水の安全性を強調する国と東電ですが、その想定上の安全も、このようなトラブルが全くない前提です。機械にも、人にも想定外のことは起こります。
原発の安全神話が完全に崩れた今、ALPSという設備が壊れもせず、トラブルもミスもないという性善説に立っていては、安全を語ることはできないはずです。
ここまで、ALPS処理水の海洋放出についてみてまいりましたが、どのような感想をお持ちでしょうか。
国民のウェルネスを根底から侵害する、このALPS処理水の海洋放出について、正しく知り、自分なりの意見をもち、そしてそれを表明すること。それは、ウェルネスに携わっている者として、とても大事なことなのです。