山口県上関町が揺れています。
実際には、上関町が原発の予定地として、その名前が上がったのは1981年9月のことですから、既に40年以上、この町は揺れ続けているのですが・・・
先日の報道をご覧になった方も多いでしょう。
使用済み核燃料を一時的に保管する「中間貯蔵施設」建設のための地質調査などを、中国電力が上関町に提案していた事案に関して、西哲夫町長が受け入れを表明しました。
調査は関西電力と共同で行われることになっており、建設が決まれば東京電力と日本原子力発電が出資して整備が進められている、青森県むつ市の中間貯蔵施設についで二例目となります。
中間貯蔵施設とは
中間貯蔵施設とは、放射性廃棄物や使用済み核燃料を最終処分場や再処理工場に運ぶ前に、一時的に保管する施設のことです。しかし、最終処分場そのものが決まっていない今、中間貯蔵施設が最終処分場となってしまう可能性は高いのです。
原発建設は不安だが、貯蔵施設なら安心などということは決してありません。高レベル放射性廃棄物は、事故がなくても日常的に放射能を出すのですから。
そこに、貯蔵されているということだけでも大変危険なものなのです。
東海村JCO臨界事故
私が原発問題に興味を持ったキッカケは「東海村JCO臨界事故」です。
20年以上も昔のことなので、若い世代の方はご存知ないでしょう。この事故のあらましを簡単に説明しておきたいと思います。
「東海村JCO臨界事故」とは、茨城県那珂郡東海村にある株式会社ジェー・シー・オー(以下JCO)の核燃料加工施設で発生した臨界事故のことです。
このJCOでは、原子力発電用の核燃料製造における中間工程を請け負っており、六フッ化ウランと呼ばれる化合物を、二酸化ウランへ転換する加工を行なっていました。
事故は1999年9月30日に発生します。
午前10時35分、作業員3人は、事業所の転換試験棟にある沈殿槽(ステンレスタンク)に、濃縮度の高い硝酸ウラン溶液を注ぎ込む作業を行なっていました。
3人が、この日扱っていたのはウランのうち核分裂するウラン235の割合を示す濃縮度が18.8%のウラン溶液(普通の原子力発電所で使われるウラン燃料の濃縮度は3〜5%程度)です。
現在でも国内唯一の高速実験炉として再稼働が予定されている茨城県大洗町の「常陽」で燃やすためのウラン・プルトニウム混合酸化物、いわゆるMOX燃料の原料として発注されたものでした。
横道に逸れますが、このMOX燃料も極めて危険です。
「もんじゅ」に代表される高速増殖炉の破綻で、余ったプルトニウム。このプルトニウムは核兵器への転用が可能なため、使い道のないプルトニウムを持ってはいけないと国際的に約束させられています。それを回避する口実で計画されたのが、「プルサーマル計画」です。
使用済み核燃料から、プルトニウム1%を取り出し(燃えるウラン、燃えないウランと分離する)、プルトニウム4〜9%を含んだMOX燃料(ウランとプルトニウムの混合酸化物燃料)を作り出す計画のことです。
しかし、原料となる使用済み核燃料の98%は、燃えないウラン(それだけでは使えない)と、核のゴミが残ります。
プルトニウムの毒性は、ウランの数十万倍(福島第一原発の3号機はプルサーマル運転)。
ウランを燃やす用に設計された原子炉で、プルトニウムを燃やすのは非常に危険です。
政府と東電は全炉心の三分の一までMOX燃料を入れても大丈夫だと説明しますが、これはストーブに灯油の代わりにガソリンを入れるようなものだと、原子力核物理学者の小出裕章さんは説明します。
この危険なMOX燃料は、福島第一のほか、高浜原発3号機(福井)、伊方原発3号機(愛媛)、玄海原発3号機(佐賀)で導入済みです。
臨界事故の壮絶さ
さて、話を戻しましょう。
このMOX燃料の原料として加工されていたウラン溶液が、作業中に「臨界」に達したのです。
臨界とは、ウランやプルトニウムの原子核分裂反応が、連続的に起こる現象をいいます。
作業員3人は役割分担をした上で、ステンレス製のビーカー(容量5ℓ)を用いて、沈殿槽にウラン溶液を注いでいました。
このとき、沈殿槽から「青い光」が見えたといいます。
これは「チェレンコフ光」といわれる現象で、高速の荷電粒子が水の中を通過するときに放出されるものです。
以下の動画のような光です。
3人のうち、1人はビーカーで直接溶液を沈殿槽に注ぎ込む役割を担い、1人は漏斗を支えていました。作業リーダーは、壁一枚を隔てた別な部屋にいました。しかし、沈殿槽にいた2人だけでなく、リーダーもこの青い光を感じていたのです。
沈殿槽にいた2人は、青い光を見た直後から、身体中のしびれを感じ、激しい吐き気をもよおしました。作業員3人は、広島、長崎の原爆の爆心地に匹敵する大量の放射線を一気に浴びたのです。
沈殿槽で作業していた2人は、高線量被曝により染色体が破壊されたため、身体の外側も内側も火傷を負った状態となり、出血も激しい状態でした。そのため、毎日10ℓ以上の輸血と輸液を繰り返し、大量の鎮静剤も投与されました。
しかし、治療の甲斐もなく、2人とも亡くなっています(別な部屋にいた作業リーダーは骨髄治療により回復し、のちに退院)。
この、東海村で起こった大変痛ましい事故は、私の脳裏に強く刻まれることになったのです。
2000年に出版された『青い閃光-ドキュメント東海臨界事故(読売新聞編集局)』を読んでから、さらに原発問題への関心が高まり、各地の講演会や、イベント、反対デモに参加するようになりました。
これは何より、東海村で起こった事故が、ひどく恐ろしく感じたからです。
そんな折に、自分の住んでいる福岡県のお隣、山口県の上関町で原発建設計画があることを知るに至ります。
原発への危機感
当時、北九州市に住んでいた私の自宅は、小高い山の中腹にあり、北九州市街地(小倉)はもとより、関門海峡から山口県の下関市までもが一望できました。
自宅から見える、その海のすぐ先にある町が今、危険極まりない原発建設を巡って、町民を分断する危うい事態にあることを知り、いてもたってもいられなくなったのです。
この頃、様々なイベントの主催を行なっていた私は、仲間たちと上関町議会の議員などに参加をしてもらって、原発建設の是非を問うパネルディスカッションなどを開催しました。
知識を詰め込み、自分にできることをささやかながらに行いつつも、時間とともに人々の関心が上関町や、原発問題に向かない現実のやるせなさや、無力感に苛まれ、そして疲弊し、私は次第にその握りしめた拳を緩めていきました。
決して関心や問題意識を失っていたわけではありませんでしたが、仕事やプライベート、日々を生きることに精一杯で事態を注視していられなかったのです。
その矢先に起こったのが、東日本大震災にともなう、福島第一原発事故です。
「あれだけ、様々な人たちが原発の危険性を説いてきたじゃないか!」
そんな思いが駆け巡りました。
握りしめた拳を緩めた自分への後悔、そして東海村の悲惨な事故から何の教訓も得なかった人々への苛立ちに苦しめられました。
しかし、また人々は福島第一原発事故で感じた不安や、恐怖を忘却しつつあります。いや、もう完全に忘れているかのように見えるのです。
人口減少、高齢化で過疎化する町の経済は衰退化するばかり。原子力交付金なしでは町の存続は危ういのです。
上関原発建設予定地の周辺海域にはスナメリや、カンムリウミスズメといった貴重な生物たちが生息しているため、対岸に位置する離島、祝島の島民をはじめとする住民たちや、環境保護団体は激しく建設に反対しました。もちろん、農水産物に対する影響も甚大でしょう。
しかし、町は原発の設置による恩恵である交付金に屈したのです。
建設工事が着々と進むなか、福島第一原発事故により、その建設計画は事実上の頓挫。町として大きな打撃を被ります。
新たな地域振興策として、町は中国電力に対して中間貯蔵施設の建設を代替案として求めたのです。
六ヶ所村
青森県の下北半島太平洋岸に位置する六ヶ所村をご存知でしょうか。
ここには使用済み核燃料の再処理工場があります。
使用済み燃料が、3000トンも運び込まれ保管されています。一つの原発が生み出す使用済み核燃料は1年間に30トン。つまり、原発100年分の使用済み核燃料が現存していることになります。
(六ヶ所村には、1992年操業の低レベル放射性廃棄物埋設センターと、1995年操業の高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターがある。このうち、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターには2023年4月まででガラス固化体1830本が保管されている。貯蔵容量は2880本)
本格操業されると、1年間に約800トンの使用済み核燃料が各地から運び込まれます。2024年6月までに完成、操業する予定です。
ここでは、使用済み核燃料の中に生成、蓄積されたプルトニウムを取り出す作業が行われます。
プルトニウムなどの放射性物質は、ジルコニウムの被覆管で覆われた燃料棒に閉じ込められ、ペレットという瀬戸物に閉じ込められています。
再処理工場では、燃料棒を細かく引き裂き、硝酸に溶かした上で、化学的にプルトニウムを分離。1日の放射性物質の放出量は、原発1年分にもなります。
被覆管の残骸、各工程で発生する低レベル廃棄物のほか、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体が出ます。また、海洋中へも放射性物質が排出されます。
海外では、再処理工場は、核兵器の材料として、プルトニウムを取り出す目的で、開発されている実態があります。
六ヶ所村から放出される放射性物質のうち、住民に影響を与えるのは、クリプトン85、トリチウム3、炭素14であるといわれています。全体の被曝量の7割を占めるのです。この放出で毎年740人、40年で3万人が癌で死亡するともいわれています。
中間貯蔵施設は、再処理を行う施設ではありませんが、危険性という観点では同等であると私は考えています。
人々の健康と命がお金に替えられる現実
中間貯蔵施設の建設にともなう交付金は、事前調査の時点から毎年1億4000万円が自治体に渡るといいます。しかも、この交付金は知事が建設に同意するまで何年間でも受け取ることが出来るのです。
同意をすれば、その後2年間は合計19億6000万円が、建設段階では貯蔵容量1トンごとに毎年50万円、完成して稼働後には貯蔵量1トンごとに毎年62万5000円が交付される仕組みとなっています。
町民の健康と命が、お金に替えられるようで、心が痛みます。
私たちのメディアは、「心と体の健康」を謳っています。
「PRASADAとは?」にも書いていますが、「ウェルネス」とは「心と体の健康のこと」であり、「(心も体も)輝くように生き生きしている状態」をいいます。
また、「身体的、精神的、そして社会的に健康で安心な状態」でもあります。
原発は、その身体的、精神的、社会的に健康で安心な状態、全てを破壊します。
心と体に触れる活動や行為を志をもって行なっている限り、その心と体の健康を根底から阻害する「原発問題」を無視して通ることはできません。
環境や生態系を壊し、人々の命と健康を危険にさらす原発政策に抗うこと、ものを言うことこそが、「心と体の健康」に資することだと考えます。
このことに目を背け、語らないのは、心と体の健康を求めている方への裏切りでもあるのではないでしょうか。
そのためにも、このメディアではウェルネスの一環として「原発問題」に触れていこうと考えています。
因みに現在、使用済み核燃料は六ヶ所村のほか、各原発の敷地内にあるプールにも保管されています。合計保管量は今年の3月時点で1万6500トン。管理許容の77%にあたります。
参考文献
『青い閃光-ドキュメント 東海臨界事故』読売新聞編集局(著)中央公論社
『国策の行方 上関原発計画の20年』朝日新聞山口支局(著)南方新社
『図解 原発のウソ』小出裕章(著)扶桑社
『だから原発は危ない!その危険性から身の守り方まで』田丸博文(著)成星出版
『原発・放射能クライシス このままでは日本が滅ぶ』リーダーズノート編集部(著・発行)
「使用済み核燃料中間貯蔵施設とは?」京都大学原子炉実験所 小出 裕章