心と体を調える女性のためのスピリチュアルメディア『AGLA』で、とくに人気の高かったコラムを再掲する「AGLAアーカイブス」。2020年1月10日公開記事『四季に寄り添い、祈るように暮らす(連載第三十六回)』よりお届けします。
1月6日に寒の入りを迎え、寒さの最も厳しい時季に入りました。
ですが、地中奥深くでは凍った泉が動き始め、すでに、春への胎動は始まっています。
新年を迎え、気がつけば1月も第二週目。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
私は当たり前の日常生活に戻りながらも、新年を迎えた清々しい気持ちはまだ残っていて、「心新たにがんばるぞ!」という意気込みは、継続中です。
さて、今回は前編、後編と題して、新たな年の始まりに生きる上で大切なことを教えてくれる「禅語」をご紹介したいと思います。
禅語とは仏教の名句、中国の詩句の総称。私は取材を通じて、神社はもちろん、お寺様ともご縁をいただき、心が洗われる、時に深く考えさせられる言葉と数多く出合ってきました。
今回は、私が大切にしている禅語をいくつかご紹介させていただきます。
色即是空 空即是食(しきそくぜくう くうそくぜしき)
「色即是空 空即是食」という言葉は、『般若心経』にも登場します。
「色」とは、色や形があって、私たちが五感で感知できる物質的な存在、現象のこと。
「空」は、「からっぽ」という意味ではなく、「実体がない」ことを意味します。
「色即是空 空即是食」は、「この世に存在する形あるものは変容し続け、刻々とその姿を変えていく。形あるものすべてに、永遠不変などということはありえないのだ」
という意味を持つ言葉。
ちょうど今時季、山茶花が見頃を迎え、冬の寂しい景色に彩りを添えていますね。
ですが、その美しい姿をとどめておくことは出来ません。花は咲いては枯れて、刻々とその姿を変えていきます。かたちとして見えているものは、一瞬の偶然の中に成り立った、あるつながりの結果でしかないのです。
見色明心(しきをみてしんをあきらむ)
一方、「見色明心(しきをみてしんをあきらむ)」という言葉には、形あるものを見て悟りをひらく、という意味があります。
今すぐ、「色即是空 空即是食」という言葉の意味を理解し、形あるものにこだわることをやめて、「空」を悟るということは、なかなかどうして難しいことだと思います。
でも、「空」を悟るため、私たちは今、形あるもの、「色」を見ているのだ、と思ったらどうでしょうか?
見て、触れて、香りをかいで、耳で聞いて、味わう。
五感を通じて世界を感じる毎日の中で、結局、この世の中に変わらぬものなどない、すべては絶え間なく変化し続けていくのだということを知り、「変化したくない」「失いたくない」ともがいても、どうにもならないと気づく。
その瞬間、苦しみから解き放たれる。
そんな大切なことを教えてくれる言葉だと、私は理解しています。
石井ゆかりさんは「zengo」という一冊の中で、この言葉を取り上げ、長野善光寺の「お戒壇めぐり」の体験について書いていました。
お戒壇めぐりとは、真っ暗な闇を進み、自己を見つめなおす精神修養の道場ですが、石井さんは、「闇と知りながら見つめ続けるとき、そこに向こう側への扉が見つかる。見色明心という言葉は、あの暗闇をゆく不思議な感覚を思い出させる」、と。
仏教では、五感で感知している世界の向こうに、もうひとつの世界があると説いています。
私も、弘法大師空海が誕生した四国善通寺で「お戒壇めぐり」を体験しました。
御影堂の地下にめぐらされた100メートルの暗闇は思った以上に長く、はじめて体験した日、あまりの恐怖に壁から手を離し引き返そうと思いましたが、意を決して進んでいくうちに、自分の姿さえ見えない漆黒の闇の中、ただそこに存在する自分を感じることが出来て、光の世界へ戻った時、少しだけ、新たな自分に生まれ変わった気がしました。
あの日の体験は、「空」への悟りの、小さな一歩だったかもしれません。
平常心是道(びょうじょうしんこれどう)
禅語には、「一期一会」や「挨拶」「喝」など、日常語に転じた言葉も少なくありません。
「平常心」という言葉も日常語。
いつもと変わらない心、という意味で使われていますね。
私が初めて、ラジオで生放送のレギュラー番組を担当することになった時のことです。
あまりの緊張でスタジオに入るのが憂欝だと、父に話したことがありました。
その時に、父が私にかけてくれた言葉です。
緊張しない方法なんてない。緊張しているお前が、ありのままのお前なんだから、緊張している自分をそのまま受け止めなさい。 ありのままの自分を受け入れ、緊張しすぎて失敗しても、そこで学んで、一回一回の放送に心を尽くし、丁寧に取り組んでいれば、そのうち、楽しいと思える日がくるさ。「平常心是道」とは、そういう言葉だ。
父と話して、心が楽になりました。
心が揺れないように、緊張しないように、と思えば思うほど、心が揺れて、緊張感も高まる。それより、心が揺れている自分、緊張している自分をそのまま受け入れてしまった方が、気持ちも楽だなと気づかされました。
大きく揺れて揺れて揺れて、いつのまにかその揺れが少しずつ小さくなり、ふと、揺れがおさまる。
ありのままの自分で、一つ一つ、心を尽くして丁寧に取り組む。
地味な言葉ではありますが、「平常心是道」という言葉。
深いなと思います。
洗心(せんしん)
神社仏閣の手水鉢に彫られている「洗心」という言葉。
どんなイメージが浮かびますか?
あらゆる負の感情をきれいさっぱり洗い流して、まっさらな心に生まれ変わる。
多くの人が、そう答えるのではないでしょうか。
「洗心」は、東洋最古の文書と言われる中国の書物「易経」に登場します。
易経によると、洗い流すべきものは、期待や願い、固定観念。
過度な期待を持つことにより、期待通りにいかないと不満が生まれ、固定観念が強いと、「そんなはずはない」と、現実をありのまま受け止めることができなくなりますね。
「洗心」のもともとの意味を知り、面白いなと思いました。
取材の中で、神社という場所は感謝の発露と話す神職さまが数多くいらっしゃいました。
期待や願い、固定観念をきれいに洗い流し、感謝の思いを伝え、まっさらな心で神さまの声を聴く。
洗心に込められたもともとの意味を知ると、参拝への心構えもおのずと変わってきますね。
いかがでしたか?
以前、体調を崩し入院。一週間の絶飲食を経験したことがありました。
「食べたい」「水が飲みたい」という欲求から解放されるために、病室のベッドで禅語の本を読みまくり、ドクターに「あなた、面白い人だね」と声をかけられ、吹き出しました。
あれから時々、禅語の本を読みながら「プチ修行」と題し、プチ断食をするようになったのですが、少々お腹が減った状態の方が、こういう言葉はスーッと心に入ってくるものだなと思います。
人生を豊かなものにするために、禅語に触れて、心を磨きましょう。
来週もまた、美しい写真とともにハッとさせられる、とっておきの禅語をご紹介させていただきます。
参考文献
石井ゆかり『zengo』