神様とのご縁を深める初詣、神社参拝の方法・完全版(後編)〜「写真撮影」〜「縁起物」まで

神社仏閣

前編では、初詣や通常の神社参拝の手順や作法についてご説明致しました。

後編では、初詣や神社参拝に関連する、諸々の事柄についてお伝えします。

鳥居

神社の入口には、どの方角にでも必ず鳥居があります。ですから、神社へ参拝される際は必然的に鳥居をくぐらなければなりません。

しかし稀に、鳥居をくぐらないという状態が発生することがあるようです。

信仰している宗教の関係で鳥居をくぐらずに境内に入る方がいらっしゃるとお聞きしたことがあります。

家族で七五三や、初詣、神社で開かれる神事や祭事に参加した場合かと思います。または、うっかり鳥居をくぐるのを忘れてしまったという故意ではないケースもあるかもしれません。

鳥居は私たち世俗の者の罪穢れをフィルターで濾過する役割を果たします。あくまでフィルタリングであって、鳥居をくぐるだけで罪穢れが祓われるわけでは決してありません。フィルターのキメの細かさは、参拝される神社に祀られている祭神の性質によっても異なります。

現在の世情でいえば、鳥居はマスクの役割をしているとイメージしていただければ分かり良いかもしれませんね。

鳥居をくぐらないということは、私たち人間と一緒に世俗の不浄なものを、清浄であるべき神社の境内に持ち込むということを意味します(手水舎で手と口を清めないという行為も同様です)。

故意に鳥居をくぐらず、境内へ足を踏み入れることが常態化している場合には、神様がこれを重く受け止められるのは当然です。

不浄なものが持ち込まれれば、それを排除しようという動きが必ず働きます。

こうした神様に対しての不遜な態度は、家族運、仕事運、健康運の低下に繋がってしまうので注意が必要です。

この場合、鳥居をくぐらなかったり、神社や神様に対して無礼を働いた本人ではなく、その家族に悪影響が出ることもあります。

鳥居をくぐる真摯なお気持ちがないのであれば、また何かの事情があって鳥居をくぐれないのであれば、神社への参拝は控えた方が良いでしょう。

初めて参拝する神社で、鳥居をくぐることなく境内へ入ってしまった場合などは、気付いた時点で改めて鳥居をくぐりなおしましょう。

昨今の神社ブーム、パワースポットブーム、ご朱印ブームなどによって、神社は清らかで、癒しに満ちた素晴らしい場所であるというイメージが先行しています。もちろん、それも神社の一つの側面です。

しかし、神社には畏怖を感じざるを得ない側面も多々あります。そうした恐ろしさがある故に、人々は古から神々にひれ伏し、その大きな力に頼って生きてきたのです。

陽があれば、陰があり、恵みがあれば、障りもあるのが神社です。

知るべきことを知り、正しい態度で参拝をすれば、必ず神様に存在を認識していただけます。

「障り」について書きますと、「神社は怖いところだ」「怖くて行けない」と思われる方もいらっしゃると思います。

しかし、そうお感じになられて実際に神社から足が遠のいてしまう方というのは、そもそも神社とのご縁、神様とのご縁は深くはなく、既に現在の生活に満足しておられるのではないでしょうか。

「障り」があるということが指し示しているのは、神社や神様には人智を超えた大いなる力があるということ。

本当に自分の人生を切り開きたい、変革したい、より善き自分でありたいと願われる方は、そうした「負」の側面を知った上でも、神社へ参拝したいと思うものなのです。

それが神社の魅力でもあるのです。

筆者コラムより抜粋。鳥居についての詳細は以下のコラムをご参照下さい。

写真撮影

神社参拝へ行かれて、写真撮影をされる方は多いでしょう。

神社で撮影した画像をSNSへ投稿するのも、神社参拝の楽しみの一つでもありますね。わたしもその一人ですが、写真撮影に関しては覚えておきたい心構えがあります。

神社が自分の家だとします。

参拝をする前だったり、通りすがりで参拝をする気持ちがないのにも関わらず、カメラやスマホを片手に、ズカズカと境内へ入り込んで写真を撮られるとどうでしょう?良い気分はしないはずですね。

写真撮影をするのであれば、必ず神様へのご挨拶(参拝)をしてからにしましょう。

そして、撮影時には写真撮影をさせて頂く失礼をお詫びするようにして下さい。

神社には主人(あるじ)であられる神様がいらっしゃるのですから、その許しを請うのは当然です。

ただし、本殿内部にカメラを向ける行為は絶対にNGです。

筆者コラムより抜粋。神社での写真撮影についての詳細は以下のコラムをご参照下さい。

摂社、末社への参拝

皆さんは、ご祭神(本殿にお祀りされた神様)に参拝されたあと、どうされていますか?

おそらく境内を散策されると思います。

その時に目に入るのは「接末社」ではないでしょうか。

この接末社は神社の境内、もしくは境外に鎮座する小さな社で、本殿に祀られたご祭神と縁の深い神様が祀られています。

「摂社」は、本社のご祭神の荒魂、后神・御子神、社地に古くから祀られていた地主神や、特別な由緒をもつ神様が祀られています。

一方の「末社」は、こうした基準にあてはまらない神様を祀った社です。

神社に参拝に行かれた際は是非、本殿のご祭神だけでなく摂社や末社にも参拝してみましょう。ご自身の願いごとにご利益のある神様や、自分にとって縁のある神様が必ずいらっしゃるはずです。

よくあるのは、氏神様(居住する地域の神様)と産土様(生まれた土地を守護する神様)を祀る神社や、崇敬神社などに共通する神様がいらっしゃるケース。

それぞれの主祭神は違うのだけれど、産土様の摂社には氏神様の主祭神が祀られているとか、崇敬神社に参拝に行くと、その神社の摂社に産土様の主祭神が祀られているということがよくあったりします。

そのように縁のある神様はとくに大事にするべきでしょう。そのような神様がいらっしゃらないか、接末社を巡って探してみてください。

摂社、末社を参拝される場合は、左回り(反時計回り)で移動しましょう。

【ワンポイント】ご朱印

元旦やお正月は、特別な限定ご朱印の授与が各地の寺社で行われます。こうしたご朱印を目当てに寺社へ行かれる方も多いでしょう。ご朱印は参拝の証です。必ず参拝後にいただくようにしましょう(各寺社の定めるルールを守りましょう)。

本社だけでなく、接末社のご朱印の授与を行っている神社もあります。自分の願いごとや、目標に合った接末社のご朱印も是非いただきましょう。

いただいたご朱印は大切に神棚に安置するか、神棚がなければ、汚損のないように清浄な場所にしまっておくようにしましょう。ご朱印帳のあるスペースそのものが、ご自宅のパワースポットになります。

ご朱印の起源については下記コラムをご参照ください。

神札・お守り

前年に授与いただいた神札やお守りは、神社仏閣の納札所に納めます。神社で授与していただいた神札・お守りは神社へ、お寺で授与していただいたお札・お守りはお寺へ納めます。

Aという神社で授与していただいた神札を、Bという神社の納札所へ納めることも可能ですが、その際には数百円の手数料が必要となるケースもありますので、ご参拝になる神社仏閣で確認してください。

新しく授与していただいた神札・お札は神棚、宮形にお祀りします。

現在では、お部屋のインテリアにマッチするような様々なタイプの宮形がありますので、神棚がない場合でも汚損を避けるためにタンスや本棚などの一角を綺麗に整理整頓し、神札・お札をお祀りしてください。

神札・お札には薄い紙が汚損を防止する目的で巻かれています。この紙のままお祀りされても結構ですが、わたしはこの紙を外してお祀りするのをお勧めします。

その代わり、神棚や宮形にお祀りをされる場合のみです。

棚に立て掛けたりするだけの場合は、汚れたり、手で触れることもあるかもしれませんので紙を巻いたままにした方が失礼がありません。

お守りの場合は、なるべく身につけるようにします。バッグなどに入れている場合は、そのバッグを床に置いたりしないように十分気をつけます。

ご神木

神社にはご神木などがあることが多く、近年のパワースポット・ブームの影響からか、みだりにご神木に触れたり、抱きついたりする方もいらっしゃいます。

ご神木だからパワーがあるというのは、決して間違いではありませんが、ご神木によって性質が異なり、その個性は様々です。

ご神木は「木」ではなく、神性が宿った「神」そのものであり、意図や意思(神意)をお持ちです。

優しく温かい何人(なんぴと)も受け入れる神様もいらっしゃいますが、神域を守護するために非常に厳しい性質を持って私たち参拝者を警戒する神様が宿っていらっしゃる場合もあります。

神社側が、そのご神木のご利益に預かって頂きたいという前提で「是非、触れてください」と看板などを設置して下さっている場合は良いのですが、そのような看板が設置されていない神社、またはご神木に触れることそのものを禁じている神社では、みだりに触れないように気をつけなければなりません。

インスタ映えを狙って無邪気にご神木に抱きついて写真を撮ったら帰りに怪我をしてしまった、ということがないとは言えません。

場合によっては、障り・祟りを被ってしまう可能性もあります。実際に事故などに遭われたお話をいくつも伺ったことがあります。

これはよくお聞きする話でもあり、経験値でもあるのですが、パワースポットと呼ばれる神社での障りは目や足(いずれも左側)に生じやすい傾向にあります。

神社参拝後、パワースポットを訪れた後などに目や足を患ったことがないか思い出してみて下さい。それは偶然ではないのです。

絵馬

絵馬には願いごとを書きますが、「叶ったあと、どうするか」まで書くことで叶う確率が飛躍的に上がります。

極端な例ですが、例えば宝くじで一等の当選を願ったとします。

この場合「宝くじが当たりますように」というだけでは神様にこの願いごとは届きません(くじ運そのものには、基本的に神様のお力は働きません)。「宝くじの当選金の使い道をより具体的にお伝えする」ということが大事です。

またさらにその当選金が、願いごとをした神社や神様に還元される約束をすれば、より願いごとが叶う確率は上がります。

例えば当選金が一千万円だとすれば、そのお金はこういう使い方をし、残りの百万円は神社へ寄進する。または神様に対してこのようなお礼をするという具体的なお礼の方法の中身までを絵馬に書けば、願いが叶う確率は上がります。

ただし、その願いごとが利己的なものに終わらず、他者へも良い影響を及ぼし得ること。そして神様へのお礼は、現実的なもの、自分自身が約束を守れる範囲に留めておくべきです。

先ほどの例で言うと、残りの百万円を神社へ寄進すると約束をしたにも関わらず、実際に一千万円が手元に入ってくると、そのうちの百万円を寄進するのがもったいないと思ってしまい、十万円しか寄進しなかったり、寄進そのものをしなかったとします。

すると、逆に災いが降りかかる恐れがあるのです。私自身、実際に願いごとが叶ったのにも関わらず、神様との約束を破り、事故に遭ったり、病気になってしまった方を何人も知っています。

神様は仏様とは違い、どこまでも慈悲深い存在というわけではありません。本殿に祀られているご祭神がお優しくても、その使いである眷属神は人間に近い感情の動きを持っており、荒ぶる性質を持った存在も多いのです。

筆者コラムより抜粋。願い事については以下のコラムをご参照下さい。

おみくじ

おみくじは神様からの個人宛の手紙をいただくものと考えて下さい。

おみくじを引く前に、神様にお伺いを立てたいこと、願いごとを心の中に念じます。そして、あまり迷わず、直感で引いてみましょう。

大吉や、凶などの吉凶には注目し過ぎず、和歌とその解説をしっかりと読んでください。

必ず、あなたの喫緊の問題や、懸念している問題に関する答えになっているはずです。または、先ほど念じた願いごとが、どうすれば実現するかが書かれているでしょう。

実はおみくじを引く、その手先の動きにすでに神様の意思が反映されているのです。つまり自分が引いているようで、実は神様が引いているようなもの。

人によっては、おみくじを開いてすぐに、実際におみくじには書かれていない言葉や、アドバイスが紙に浮き上がるように見えることもあります。

おみくじは神様との接近遭遇体験であり、コミュニケーションです。その邂逅の一瞬を存分に堪能して下さい。

そしてもう一つ、先ほどのご神木に関連する問題です。

おみくじを授与頂く、社務所の周囲にはご神木などの木々があり、引いたおみくじなどが、こうした木々の枝に結び付けられているのをよくご覧になるかと思います。

とくに引いたおみくじの結果が悪い時などは、持って帰るよりも厄除けや祈願の意味も込めて神社の境内の木の枝に結んでおきたいとお思いになるのは、とても自然なことです。

神社内にある木におみくじを結びつけている光景は当たり前のように見受けられますし、誰かが既に結びつけていると、自分も同じようにして良いのだと錯覚してしまいます。

しかし、そうした人たちが連鎖してしまうと、神域にある木はおみくじだらけになってしまいます。

神社側が、おみくじを結ぶための専用のスペースを設けている場合は、そちらを利用するべきでしょう。それ以外は、おみくじを持ち帰って下さい。

おみくじは神様からのメッセージが書かれた文書です。

ご神意が凝縮されたおみくじを木に結び付けて行くというのは、大事な人があなた宛へ書いてくれた手紙を、その大事な人の家に置いて行くようなものです。

そこに書かれたメッセージを教訓にして、その年をどういう心持ちで生きていくのかが問われているのです。

おみくじを木に結ぶ行為は、木や環境へのダメージとなる

また、神社で引いたおみくじを大切に持ち帰ることは、上記に書いたように神域にある木にみだりに触れないということにも繋がります。多くの人が木に触れておみくじを結ぶという行為は、木にとってはかなりのダメージとなるのです。

ご神木とされている木、境内の木に多くの人が必要以上に触れますと、樹皮が薄くなり、脆くなります。また、その幹の周囲の土が人の重さで踏み固められ、硬くなり、水や養分を吸収出来なくなってしまいます。

根が地上に露出している木であれば、当然根を踏みつけることで痛めてしまいます。特に女性の履くハイヒールなどでの根へのダメージは深刻です。

おみくじを持ち帰らない場合は必ず神社が設置した納所へ結ぶ

神社仏閣や神域、パワースポットに行くというのは、そこに神仏がいると信じているからでしょう。しかし、そこにいるのは神仏だけではなく、自分自身もいるのです。

元来、神社仏閣は本当の自分に出会う場所。

神社仏閣での行いは、いずれ自分に相応に返って来ます。

神社で不遜な態度を取れば、いずれ自分自身が誰かに不遜な態度を取られたり、傷付くことがあるかもしれません。それは写し鏡なのです

おみくじは神様からあなたに宛てられた手紙。これをSNSなどで公開する行為も、あなた宛の私信の手紙を、神様に断りなく披露することに等しいですね。

おみくじに書かれた内容は、あなたと神様との間で、大切に秘めておいて下さい(ご家族と共有しても問題ありません)。

縁起物

参拝後に、社務所でお守りや、お札の授与をお受けになる方は多いと思いますが、是非干支の縁起物も授与して頂いて下さい。

実はこの干支の縁起物は、非常に強い魔除けの効果があります。縁起物を家族の集まるリビングや、玄関などに飾っただけで、部屋の雰囲気が明るくなり、穏やかになるのが感じられるはずです。

縁起物は干支の置物以外にも様々な種類があります。

11月の酉の日に行われる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市(本来は「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれる神祭)では、神様の御分霊として「熊手」が授与されます。

福岡の十日恵比須神社、大阪の今宮戎神社では1月10日を本戎として前後数日間に渡って大祭が行われ、参拝者に福笹が授与されます。笹は孟宗竹(もうそうちく)の枝で、その生命力と神秘性から神霊が宿っていると信じられて来ました。

このように神社で授与される縁起物は、神様が宿った尊いものなのです。是非、参拝の折には縁起物を授与していただきましょう。

【ワンポイント】授与品の飾り方

神社で授与された熊手や福笹、破魔矢などは目線より高い位置、清浄な場所に飾りましょう。扉の上など人が出入りをする不安定な場所、キッチンのように水分や油分が飛散するような場所は避けた方が良いでしょう。干支の置物などは家族の集まるリビングや、玄関などに置いて構いません。

また、授与された福笹などを境内の外に無造作に捨てていらっしゃる方も多く見掛けます。不必要であれば、最初から授与を受けないように!福笹を無闇に捨てる行為は、神様を穢す行為と同じです。十分に注意しましょう!

定期的に神社へ参拝する

神社へ参拝するのは初詣や旅行のときだけ、という方は意外に多いものです。

是非、初詣をキッカケに神社参拝を習慣化してみてはいかがでしょうか。

日頃から、神様とのご縁を深めておくと、いざというときに大難が小難に、小難が無難になったりするものです。

そして、定期的に神域に足を踏み入れることにより、日常において周囲への眼差しが変容し、心が「平らけく、安らけく」いられるようになります。

朔日参り、十五日参りなどの月参りを行うか、月に数度の参拝を続けて、神様との信頼関係を築きます。

願いが叶ったら

願いが叶ったら、なるべく時間を置かずに参拝をした神社へお礼参りをします。

いつも通りの参拝方法に加えて、日本酒(純米酒)の奉納を行うと良いでしょう。

この日本酒の奉納は、願いが叶ったあとだけでなく、どうしても実現したい事柄があるときや、ある志を立てたとき、乗り越えたい状況があるときなど、神様に対して強い意思で気持ちをお伝えする場合にも最適です。

神様のお力添えも、強力かつ確実なものとなります。

正式には、酒屋さんなどで「熨斗(のし)」を書いていただきます。日本酒の購入時に「外のし」と伝え、熨斗に書き添える名前も伝えます。私が奉納する場合は、「奉納 久保多渓心」となります。

月参りなどで、頻繁に神社へ参拝される場合は、ワンカップサイズのお供えしやすいお酒で構いません。

お礼参りや、年始、特別な参拝の場合は、必ず一升瓶を奉納します。ただし、どちらも醸造アルコールが添加されていない純米酒を選択してください。奉納する本数は1〜2本で結構です。

米は神道にとって聖なる食べ物です。古代、稲作文化の発展とともに肉食から米食への転換が進み、農耕は人々の命を未来へとつなぐ必要不可欠な作業となりました。そのため、豊作を祈る信仰対象として様々な神が祀られるようになります。

人々が古来から神を信じ、祈り続けた結晶こそが米だといえます。その米を熟練した職人たちの技術や経験の粋を集めて形にしたものの一つが日本酒なのです。だからこそ、純米酒である必要があります。

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SPIRITUAL WELLNESS MAGAZINE “PRASADA”運営者。
フリーライター・占術家。

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